勝手に絵かき歌

つれづれ団のロゴが決まりましたね。
めんこいロゴ!
ロゴはこちら
ロゴを見たら楽しくなって、絵描き歌の歌詞を読んだ私は、
勝手にメロディをつけたりギターで伴奏したりしてひとり遊んでいました。
わーい陽気なのが出来たぞー!とうきうきしていましたら、
既にメロディが付いているのを知って、
公式絵描き歌の方がつれづれ団ぽくていいなあ、と羨ましがる始末です。
(絵かき歌って言うぐらいだしメロディついてるだろう、と今は思う)
携帯からつれづれ団ブログを見ていたのだけれど、
私の携帯が古いので、動画の部分だけ表示されなかったみたい。
むー


絵描き歌(小川版)を家で口ずさんでいたら、母さんに、
「それって消臭力のCMの曲だでな!」と自信満々に言われました。
しかも、ギターを弾きながら歌うと、ロゴが描けない。


まあ、いいかー



チューニングもしていないし、へっぽこな歌いっぷりですが、
良かったら聞いてみてください。
つれづれ団の絵かき歌・小川版

問題は『旧』をどこに持ってくるのかだ

三月の震災で、土沢の元銀行の支店とされる煉瓦建築(以降、赤レンガ)が少なからぬ被害を受け、先日遂に解体されたらしい。
私がこの赤レンガを始めて目にしたのは二年前の「アート@つちざわ」というイベントを見るためにに土沢地区へ行ったと時である。
岩銀中の橋支店の様な大きなものでは全く無いが、田舎の市街に良く似合う小ぢんまりとした、しかし重厚な安定感のある街道筋のアクセントの様な建物であった。
当然営業はしていなかったが一目で元銀行と分かる建物だたし、もっとPRしても良さそうなのに、なぜか建物の由来を教える看板等は無かった。
世間では「岩銀の旧支店」とも「旧岩銀の支店」とも言われているこの赤レンガだが、もうそろそろ(と言っても手遅れだが)旧岩銀なのか、岩銀のなのかはっきりしてもらいたい。
確実に言えるのは、旧岩手銀行の支店であった事だ。これは玄関のマークからも間違いないだろう。だが、現岩手銀行の社史には全く違う建物が岩銀土沢支店として載っていた。どちらかと言えばこちらのほうが見事であった。
いやはや謎は深まるのである。
因みに、現在の岩手銀行は元々岩手殖産銀行という昭和に出来た新しい銀行で、それ以前にあった岩手銀行とは何の関係も無い。
そして土沢の赤レンガにあるマークは旧岩銀のもの。この建物が殖産銀行に引き継がれたのかは怪しいところである。
ついでに言うと岩銀中の橋支店は、新しく中央通に本店が出来るまでは岩手殖産銀行時代から本店だったし、殖産銀行の本店になる前は、盛岡銀行の本店だった。向かいにある盛岡信用金庫本店は岩手貯蓄銀行の本店だった建物。盛岡信用金庫の前身は盛岡信用組合と言い、その本店は現在盛岡信用金庫六日町本部があるあたりに存在していた。
現役の銀行建築ではないが、賢治啄木青春館が今まで辿ってきた道のりは複雑だ。
最初は九十銀行の本店として建てられ、岩手の金融恐慌も何とか乗り切れそうだったのにも関わらず、石井知事の発言により、いろいろあって他の銀行同様駄目になり、岩手貯蓄銀行を経て、岩手殖産銀行盛岡支店となり、のちにいわぎんリースデータとなりやっと現在に至るのだ。まぁ、この建物は来歴の割には依然そこにあるし幸福な方だろう。
斜め向いにあった旧岩手銀行の建物など昭和50年代に壊され現在は駐車場である。
旧岩銀が潰れた後は、労働金庫が入った様だが、自分らが建てた訳でもない建物に愛着は湧かなかったのだろう。現在も残っていれば、市内三行の旧本店が全て残っていた事になるのに全く持って残念。
旧三行の本店の他にこの付近には安田銀行盛岡支店があった、現在のみずほ銀行盛岡支店のことである。以前は富士銀行盛岡支店だったが、この建物も現在のものに建替えられる前はなかなか立派な建物だった。現存していれば帯広、横浜、小樽にも兄弟建築があるので、セットで語られただろうに、盛岡らしさが無いと言う理由で、役所は解体の許可を出してしまった。わざわざ富士銀行側から市役所にお伺いをたてたのに、何とも変な理由で解体許可を出すのだな。
さて、土沢の赤レンガであるが、今回は残念ながら解体されてしまった。
仕方ない理由であるが、もしかしたら旧岩銀の建物で唯一現在まで残っていたものだったのではなかろうか。だとしたら仕方の無い理由とはいえ大変残念である。

ラブの話

大学のときに、「このひととは一生一緒にいるな」と

思った人がおりまして、戸籍は特に意識していなくて、

籍にこだわらずとりあえず一緒にいたいなーと

思っていたのですが、地震によって多少考えが変わりました。

会社のひとたちと避難生活をして、避難所で

お父さんという大黒柱のいる家族を見るにつけ、

家族は一緒にいなきゃいけないなーなんて感じたのです。

そして秋田の実家に避難したときも、

家族でいることに大きな安心を感じたのです。

「籍を入れなくても…」というのは私たち2人だけの話に

なるけれど、籍を入れることによってお互いの家族も

家族になって、2倍になるわけで、

家族が増えるって、なんて素晴らしいことだろう、と

思うようになりました。

感覚の問題なのでうまく言葉にできないし、違うよ!と

思う人もいるかもしれませんが、

私にとって入籍がとても大きなことのように感じました。

20日になったら「きのうち」から「たかはし」に

なります。なんだか不思議です。

でもとっても楽しみです。

いろんな準備の時間がない!という焦りはあるけれど、

とにかく楽しみな気持ちでいっぱい。

へたすると一人にやにやしてしまう。あぶないあぶない。

しなくちゃいけないこと・したいこと、あれこれあるけど

元気いっぱいでがんばるぞー

ちくちくちく…

こんにちは。すてきな天気です。うろうろしたくなります。

先週は久々、ほんとうに久々の手芸カフェでした。

つれづれ団の人たちにも会うのが久しぶりで、

わーっと胸がいっぱいになって、うれしくてうれしくて、

たくさん話したいことがあって、

でも他の用事がいろいろ入ってあまり長い時間いられなくて、

短い時間でも作れるシュシュを…と思っていたけど

志し半ばで終わってしまいました。

楽しい時間ってなんてあっという間なんでしょう。

つれづれ室にもまだ一度もおじゃましていないし、

まだまだつれづれ団の人たちに会いたい。

北上市への引越し日を6月20日に決めました。

新しいところに行くというのはとてもどきどきわくわくします。

楽しみすぎて仕事が手につかない(こらっ!)

たまに仙台に遊びに来てつれづれ室に泊まってやる〜。

Across the universe

我が家の庭ではやっと、ハナズオウとハナカイドウが咲きました。
本当はこの時分の庭は、狭いながらもいろんな花っこが咲いて、手入れをするじいちゃんも笑顔で、
それを眺める私もいい気持ちでいたのですが、今年はちょっと景色が別でした。
豪雪で折れてしまった枝が多くて、花が咲いても空が見えるくらいすかすかだし、
折れた木や枝を拾い集めるじいちゃんの背中が寂しい。
枝をゴミ袋に一本ずつ入れていき、腰を反らして空を仰いで、ため息をつく。


数日間に渡った枝拾いが終わってから、じいちゃんは空いた鉢を持ってきては柔らかい土を入れ、
なんかの種を蒔いたりと熱心に動いていました。反動というやつだ。
で、あっという間に鉢の数が増えました。じいちゃんも満足げです。
庭に出て、「何のタネ蒔いだが聞がねでおご、花っこ咲ぐな楽しみだなやー」なんて私は話をしながら、
鉢を端から見ていたら、明らかにひとつ変ちくりんなやつがあることに気付きました。
その怪しげな木は、葉っぱ(茎?)は緑なんだけど、ぷくぷくしていて全然かわいくないのです。
葉っぱ部分は、ゆでたマカロニにそっくりです。緑のマカロニ。
で、全体的に、そよ風が吹いたみたいにすこし斜めになっている。
怪しいので質問しようと思ったら、じいちゃんは問わず語りで説明を始めました。


聞くと売り場で初めてそれを見たじいちゃんも、やっぱり気になった。
不思議な風貌なので、売り子になにかと尋ねた。
すると売り子が言うには、
「正式名称は分からないが、“宇宙の木”とか呼ばれているらしい」
宇宙の木な、おもしぇんたながあるもんだんしなー、
怪しげな木に関心を覚えたじいちゃんが、
花は咲くのかと尋ねると「咲くらしい」
大きくなるのか、「大きくなるかもしれない」
鉢はもっと大きいものに変えた方がいいのか、「そうかもしれない」
どこまで聞いても、≪らしい≫、≪かもしれない≫、≪ひょっとすると≫
がついてきて、木のあれこれは聞けば聞くほどわからなくなる。
じいちゃんは面白くなって、宇宙の木を購入。
膝株くらいの大きさの木で千円。
家に持って帰ってきたら、鉢が小さすぎてころころと倒れるので、
空いた鉢に入れ替えて購入年月日を記入。



…そこまで聞いても、結局、宇宙の木というやつがなんだか私にはさっぱり分からない。
宇宙と言われて見れば、宇宙っぽい気がしてくるようだけど、やっぱりしない。
売り子は宇宙の木について全く分かっていなかったけど、
腰の低さも良かった、丁寧だった、と木以外を褒めるじいちゃん。
売り子が知っているのは木の通称と値段だけなのに変なこともあるもんです。
あれもこれもそれも変な気がするのは、きっと宇宙の木のせいだろう。


ひょっとすると花が咲くらしい、大きくなるかもしれない木について、
ネットでちょいちょいと調べればすぐわかるんだろうけど、
知らない方が楽しそうなので、検索しないことにした。
咲いたら、ここに写真を載せるかもしれないです。
知っている方や植物に詳しい方、
コメント欄で教えてあげようなどと、ゆめゆめ思ってはなりません。

ロマンチックな語りべ達

香夜です。今週は実家のある帯広におります。


連日、画伯の展示会場に寄っています。


カフェの会話を聞いていると震災と原発の話がホットなようです。


こちらに帰って来て、TVのCMが普通、デパートの灯りも普通、スーパーの物もふつうに並んでいることに、少し感動しました。


でも、こちらの人は富士フィルムが写真の洗い方の説明をしているCMを知らないのです。


家族に停電が起きた時の備えをした方が良いと熱弁を振るっても、よく地震が起きている十勝の人達にはあまり効果はないものです。


カフェのお客さんたちが、TVや新聞で見聞きする情報を元に議論を交わしているのを聞いていても、何だか感傷的で、現実味の無い感じを受けるのです。

まるで悲劇のヒーロー、ヒロインを語るような空想的な感じ。

絵空事を述べているに過ぎないと言ったら言い過ぎでしょうか。


という私は、盛岡にいても地元意識は薄く、北海に帰って来ても、これらの会話に対する違和感は抜けず。
なので、カフェの会話に参加もせず、ただ聞き耳を立てるのみなのです。

十勝一帯が食べ物天国

こんにちは。
ただいま、北海道の帯広に来ております。
なぜなら自身の鳥瞰図の展示会をやっているからなのです。
それはそうと帯広は食べ物が美味しいです。
山形で適当に入った蕎麦屋にハズレがなかった様に、帯広で、適当に入った飲食店にもハズレはありません。
いや、正確にはあるんですが、確率は相当低いです。
今回は中心部の居酒屋で生の肉を食べました。
あまりに美味しくて、地獄に落ちると思いました。
そして、菓子が安いです。
単純に盛岡の二分の一の価格です。
立ち食いになるもののケーキ二個にコーヒーがついて来て300円で済むのは帯広くらいのものでしょう。
これならチーズケーキの食べ比べができるってもんです。
毎日毎日ケーキ三昧です。
これは帯広に限った事では無く、十勝全体に言える事です。
甘党、肉好きはぜひ十勝に帯広においでください。