止まる針の話

昨夜、友達に詩を一篇朗読してもらった。
<時計の針を止めたら>という言葉が組まれている夜の詩です。
そのあと、電話口の声にうっとりして寝た私が見た夢は、
建物の中にある部屋のカーテンを次から次へと引く夢でした。
日差しを遮っては真っ暗にして、会議の準備をする。すごいカーテンの量だった。
立派な厚手の布の割には、シャーって気持ちよく引けるくらい軽かった。



もともと睡眠が浅い私は今の時期、2時間とか3時間ごとに目が覚めてしまう。
今日も3時台に時計を見て、ちくたくいってた針を目で追った。
その次に時計を見たのは6時14分。
あ、そろそろ起きなくちゃと思ってうつらうつらしたあと、携帯を開いたら、
携帯の時計は7時を過ぎてたし、目覚まし時計は6時14分で止まったままだった。


こんなことってあるんだなー
針を止める、という夜に聞いた言葉が、翌朝の私の目覚まし時計まで伝ってる。
単純に、単2の電池が切れただけなんだけど、このタイミングってなんだろう。
うそみたいで、本当の、本当の話です。
(こういうときって、「ほんとにほんとで」とか言えば言うほど嘘に聞こえる気がして、
 あまり何度も「本当」という言葉を言えないのが更にもどかしい)


不思議なタイミングで起こる出来事って結構あるものです。
なんとなく本屋さんに行ったら、(やっぱり)『暮しの手帖』発売日だった、とか。
なんとなく郵便受けを開けたら、(やっぱり)友達から手紙が届いていた、とか。
みなさまにも、そんなことってあるかな。



せば、まんづ。



追伸
素敵なお店yutorico.さんで開催中の企画展に、
私の書いた手紙も静かに展示していただいてます。
つれづれ団手紙部のみなさま以外はどの手紙を私が書いたのか、
わからないと思うけれど、分からないからいいなあと思います。
他の人が書いた、どきどきしてきゅんとする手紙を見に、期間中仙台へ遊びに行く予定です。