競馬の思い出

先日、テレビ東京系列のニュース番組で、岐路に立たされる地方公営ギャンブルみたいなのをやっていまして、その中で明と暗の形で出ていた二つの競馬場が盛岡競馬場帯広競馬場なのでした。
わたくし、この二つの競馬場のどちらにも行った事があります。
因みに、明で紹介されたのは帯広競馬場(馬事公苑)で、暗で紹介されたのは盛岡競馬場(OROパーク)でした。
かつてトレセンとして計画されながらも、どんどん計画が肥大化しなぜか山奥に競馬場を移転させてしまったのが盛岡競馬場の運の尽き。ドクターコパや、ルー大柴、ブーマーにムッシュかまやつ等、有名人をCMに起用し再起を図ったものの未だ回復することはなく、このまま行けば廃場なんじゃないかと囁かれております。
一方、帯広はレースの形態自体が挽馬という特殊なものである事や、共同開催していた他場(岩見沢・北見とどこかの3コース)が開催を止めて実質的に日本唯一のばん馬が見れる場所になった事、ばん馬をテーマにした映画(雪に願う事)が製作・上映され、地元の人が、ばん馬をギャンブルとはちょっと違う視点で見はじめたのかファンが増えたこと、楽天が参入した事等さまざまな事が重なり存続に肯定的なようです。
私が小さい頃、盛岡競馬場は高松にありました。
親戚一家と共に車に乗り、天昌寺あたりから続く46号線の渋滞にはまりながらゆっくりゆっくりと進むとたかまつの池の奥にそれはありました。駐車場はコースをアンダーパスしたところにあり、観覧席はコースの外側、遊園地はコースの内側にあるので、馬が走るのより遊園地が目的だった私ら子供たちは何回も地下通路をくぐって、親と遊園地の間を往復したはずです。携帯電話などの通信手段が無くても迷子にはなりませんでした。
今、盛岡競馬場の跡地を訪ねると、やっとの事で市が土地を買収したようで、随分とのんびりした再開発が行われています。一説によれば、盛岡市がもっと早く組合から土地を取得していれば、現在の様に深刻な赤字にはならなかったとかどうとか。
競馬場の名残は、再開発地域自体が緩やかな弧を描いている事と、住宅地にしては、短めだけど立派な中央線が描かれている道路が延びている事(かつてのアクセス道路)。くらいでしょうか。
それと上田堤の、競馬場と接している道路の壁に、近所の小学生が描いた馬と人間が触れ合っている絵でしょうか。
時代は変わるものだなぁと思ったのでした。