すれっからし

8月の5・6・7日は湯沢の七夕絵どうろうまつりでした。

おまつり初日に、うちの犬さんを抱っこして、
私んちの近くに飾られた絵どうろうを眺めていたら、
一眼レフを首から下げた見知らぬおじいちゃんに声をかけられました。
犬が大好きで犬の写真を撮りつづけている、私が着ている黒の浴衣に白い犬の組み合わせがいい、
だから写真を撮らせてほしい。
そうお願いされたので、被写体になりました。
おじいちゃんの目がすごくきれいだったし。
ぱしゃぱしゃ、かしかし。


撮った写真を送るから、住所を教えてほしいと言われて、
私はもうほとんど無意識に、教えたくないと思いました。
大きな町や小さな町で暮した末、ひとを疑ってかかるのが習慣になって、
それがいいことなのかそうでないのか、判断しかねるのは毎度おなじみのことです。
結局そうやって疑ったあとに、いつも頭に浮かんでくるのが≪すれっからし≫という言葉で、
今回も同じ思考パターンだったのを、すこし悲しく思いました。


写真わざわざ送ってくださらなくても、もしよろしければ、今見せてもらえませんか?
距離を取って言った私におじいちゃんは、
自分は古い人間でこれも古いカメラです、デジタルじゃないんです、と答えました。
それを聞いたら、そこまでの思考回路と私の言葉を申し訳なく思って、
私は住所を教えました。ちょっと罪滅ぼしみたいな感覚だったかもしれない。


それから4日後の今日、仕事が終わって帰ってきたら、
茶色の大きな紙袋と、写真がたくさん収納されているアルバム3冊が私に届いていました。
封筒には4日前に撮ってくれた写真が立派な額縁に入っていた。
A3くらいの大きなサイズです。


母に聞くと、目のきれいなおじいちゃんがわざわざ家まで持ってきてくれたそうです。
七夕で撮った写真を私に贈りたいことと、
これまで撮りためた犬の写真をよかったら見てほしいとアルバムを貸してくれたこと。
100枚近く犬の写真が入ったアルバム。
それを持ってきた理由は、私が犬をとても好きそうだったので、とのことでした。
封筒にはおじいちゃんの名前と住所がしっかり書かれていて、
疑った私に身元を明かすみたいだった。


私はとにかく自分が恥ずかしくてしょうがなかったです。
いつからこんなに、すれっからしになったんだろう。

おじいちゃんがこれまで撮りためた写真は、
家族らしきひとがとても楽しそうな顔しながら犬をめんこがって写っていた。


純粋できれいな目をしたひとくらい、会ったときにちゃんとわかるようになりたい。
おじいちゃんのレンズ越しに見える世界は温かくて、
写真を一枚一枚見るたびに、胸が痛みました。